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国献男子ほんわか日記190 追悼フランク・ステラ氏 中国と米国の文化交流
国際協力実践家 小島康誉20世紀コンテンポラリーアートの巨匠フランク・ステラ氏が5月4日、NYマンハッタンの自宅で逝去された。87歳。ニューヨーク・タイムズなどが報じ、日本でも小さく報じられた。小僧との縁はツルカメコーポレーション社長時代にさかのぼる。ジュエリー事業で今日の業績をあげ、アート事業で明日の繁栄の種をまいていた約40年前、日本では見向きもされなかったステラやバスキアなどの作品を多数買い付けていた。彼らの信頼を得ていた池田昭氏を通じてであった。作品の一部を当時の会社案内数部からスキャンして紹介する。
左:ステラCriss Cross,1958 右:Less Erroneous Pictures of Whales,1988
左:ステラThe Spouter Inn,1987 右:おまけ・会社案内1984での筆者
1972年中国初訪問以来、原石買付などを通じて、中国の急発展を肌で感じていた。ステラ作品展は世界各国で好評、北京でも開催したら改革開放ぶりを発信できるのではと考え、池田氏と話し合い、ステラ氏の同意をえて、孫躍新ニヤ遺跡調査隊員の協力もえて、準備を開始したのは1997年6月。中国対外演出公司・中演文化娯楽公司などと度々折衝。11月にはステラ氏と池田氏を北京へ案内し、打合せ、会場下見、万里の長城参観、CHINA DAILY取材受け。予定作品リストや展示レイアウトも完成し、会場は中国美術館、会期は99年10月5日~12月12日で双方が覚書(日・中・英文)3通に調印したのは98年7月22日。
ステラRaqqa Ⅲ,1968, acrylic on canvas, 304×760㎝
ステラ氏の97/7/2付け中国側あて英文書簡には「北京で私の作品の展覧会を開催するという試みは、人々の大きな関心を集めることでしょう。中国とアメリカの芸術面の友好関係の架け橋を築く助けとなることでしょう。この二国間での大きな発展性のある文化交流プログラムを行うことは、現在の拡大する政治の動向を考慮すると、きわめて自然な必然の流れと思われます。2週間前ホワイトハウスでの会合に出席したとき、クリントン夫人に『現代アーティストの文化交流における役割に自分が関心を持っている』と話すと、夫人はその実現性について、大変前向きに興味を示した」(拙訳)などとある。
ステラ北京展計画を報じるCHINA DAILY(97/12/17)部分
米国と中国でスポンサー探しに奔走するも必要額に達せず最終的に実現しなかった。時代を先取りしすぎたようだ。中国と米国の国際交流を世界に示すステラ北京展が実現しなかったのは大変残念。フランク・ステラ氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
付記:冒頭に記したツルカメコーポレーション社長は創業30周年を機に退任した。紹介したステラを含む大量作品は数代後の社長時代に全て売却された。また会社はその後に合併し現在もエステールHDとして繁栄している。なおDIC川村記念美術館には池田氏も関与したステラ作品が多数コレクションされている。(05/17記)
ありがとう 今ここ自分
人生は楽しい。と、思うようにしている。楽しくないことも楽しいと思える。この一瞬に存在する「今ここ自分」を大事にしている。大宇宙は複雑奇怪、地球も変化し続けている。万物の霊長を自認する人類は戦争・紛争・犯罪・・・を繰り返している。が、人生は楽しい。と、思わねば息が詰まってしまう。
畏友Campbell La Pun氏から頂いた「一期一会」
超スピードで走りゆく「今ここ自分」。ありがたい一瞬を「一期一会」といただいて生きている。ありがとう「今」、ありがとう「ここ」、ありがとう「自分」。だってだって、世界の国々に比べて、一応「平和」で、一応「豊か」な日本。不平不満を言えばキリがない。ありがとう今ここ自分。ホンワカほんわか。