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国献男子ほんわか日記30 世界自然遺産・新疆天山を訪ねて
国際協力実践家 小島康誉世界遺産というと、世界文化遺産を指すことが多いようですが、世界遺産にもいろいろあります。世界文化遺産・世界自然遺産・世界複合遺産・世界無形文化遺産・世界記憶遺産・世界農業遺産など。認定機関はユネスコなどです。
京都や奈良の一部の神社仏閣・明治日本の産業革命遺産などは世界文化遺産、屋久島・知床などは世界自然遺産、能楽・アイヌ古式舞踊などは世界無形文 化遺産、慶長遣欧使節関係資料・舞鶴への生還関係資料などは世界記憶遺産、能登の里山里海・静岡の茶草場農法などは世界農業遺産に認定されていますね。
今日はシルクロードに横たわる巨大な天山山脈のベデル峠についてお話しします。富士山をふくむ「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」は2013年6月プノンペンで開かれた第37回世界遺産委員会で世界文化遺産に認定されました。
同じ委員会で世界自然遺産に認定されたのが「新疆天山」、構成資産は天山山脈の最高峰トムール(托木尓・別名ポベーダ7439m)・カラジュン(喀拉崚)&クエルデニン(庫尓徳寧)保護区・バインブルク(巴音布魯克)草原・ボゴダ峰(博格達5445m)です。
北京を飛び立ち約4時間、ウルムチ着陸15分ほど前から左手に見える特徴的な山容がボゴダ峰、中腹に有名な観光地天池があります。クチャからキジル 千仏洞へ向かう途中から北に回り進むとバインブルク草原があります。その北西にナラティ草原。更に西方がカラジュン&クエルデニン保護区。
バインブルク草原を目指して天山をゆく(撮影:筆者)
天池やバインブルク・ナラティは私も友人らと数回行きました。花々が咲き乱れ、それはそれは極楽のような美しさ。皆さん大喜びされました。是非お訪ねください。
キジル千仏洞から更に西へ向かうとアクス、その北約100㎞にトムール峰。このあたりの天山山脈はキルギスとの国境をなしています。いくつかの峠がありますが、その一つがベデル峠です。ベデル峠と聞いてピンとくる方はよほどのシルクロード通ですね。中国語表記は別迭里。
中国四大訳経家として名高い玄奘三蔵(602~664)が国禁をやぶりインドを目指した時、現在の新疆からキルギスへ越えたと推測されている峠です。長安(西安)をたった玄奘さんが屈支国(旧名は亀茲国・現在のクチャ)へ着いた頃は雪におおわれた天山を越えられず、6ヵ月とどまり「凌山」を越えたと『大唐西域記』に記されています。この「凌山」は天山山脈。凌山のどの峠を越えたかは、2説あります。アクス北西のベデル峠とクチャ北西のムザルト峠。前者が有力のようです。
以下はPCに保存していた当時の小文です。2005年6月、私たち日本人5人と新疆ウイグル自治区政府関係者など計11人は車4台でベデル峠を目指 した。奈良女子大学博士課程で玄奘さんのインド取経ルートを研究中の安田順惠氏の希望によるものである。私は新疆政府の文化顧問であるので、特別許可を取得できた。
南疆の重要都市アクスから烏什を経て、ガタガタ道を走ること約2時間、烽火台で一休み。周辺には羊や山羊・駱駝が放牧されている。ベデル川の渡河をくりかえし進むと、国境警備隊の駐屯地が現れた。政府の正式許可をえて外事弁公室幹部同行の我々はなんなく通過し、車一台がやっとの悪路、グングン高度をかせぐ。つづれおれの急勾配を登ると、国境近くのバリゲートが見えてくる。周囲には雪渓が残っている。ここから先は車では進めない。携帯食で腹ごしらえをして、急勾配を直登する。岩だらけの山道である。紫色の小さな高山植物が岩間にはりついて咲いている。
息を切らせて休みやすみ登ること30分。ついに稜線に達した。中国とキルギスの国境である。両国が建てた国境標識が別々に。中国のそれには「中国・2001」と、キルギスの赤い標識には「国章」が刻まれている。地図には海抜4,284mとあるが、一行が持参した高度計は3.986mを示している。感謝のお念仏を称える。安田氏が岡田和雄氏に助けられて般若心経を唱えつつ到着。感涙にむせび中国側と握手を繰り返されている。玄奘さんや皆さんに助けられて登れたと。中国側も一人を除いて初めての到達であり、記念撮影がつづく。岸田善三郎夫妻は急坂の途中で諦められた。
左:左側が中国・右側がキルギス 右:劉暁慶新疆政府処長らと(撮影:筆者・同行者)
正規に到達した初の日本人と聞かされる。日本からも多くの僧侶や研究者・玄奘さんファンがベデル峠を目指すも、到達した人はいないと。この一帯は中国・キルギスともに未開放地区であり国境地帯であるため許可が出ないためだ。国境から眺めるキルギス側にも道は無く、雪渓から融け出た水が流れ下っている。聞けば、国境貿易交渉は中断していて、遊牧民の往来もなく、軍の定期的な巡視があるだけと。
軽い高山病の頭で考えた。玄奘さんが密出国までされたのは、仏教の真髄を求めてである。わが身をふりかえると僧侶の末席を汚すだけで恥じ入るばかり。実践してきた世界的文化遺産保護研究や人材育成・日中間相互理解促進に微力を尽くそうと改めて決意した。
玄奘さんは夜陰にまぎれての旅立ちであったが、途中から歓待にかわる。この変化には戸惑われたことだろう。それに引きずられなかったのは、さすが偉大な僧侶である。
『大唐西域記』には、この峠越えで「従者10人中、凍病死した者3、4人もあり、牛馬はそれ以上」と記されている。その心痛は相当なものであっただろう。
黒雲が出てくる。車のところまで下ると小雪が舞い始めた。中国側は持参した酒で乾杯するという。頭の痛い私は飲むまねをする。6月24日のことであった。
これ以外に私はテレビ東京の番組「封印された三蔵法師の謎」撮影で旅人役の役所広司氏らを案内したことも。2009年6月のことです。この時はTV局側→前田耕作氏→安田順惠氏ルートで依頼を受けました。番組制作の永野浩史社長(アジアドキュメンタリーセンター)を知ったのはこの時、その縁が 「ADC文化通信」へとつながりました。縁は有難いですね。
心コロコロ
風車はクルクル回ります。心はコロコロ変わります。風車は風で回ります。心は何で変わるのでしょうか。あれやこれやでコロコロ変わります。小僧の心は分刻みで変わります。今朝も「頑張るぞ。佛教大学ミュージアム向け論文『日中国交正常化45周年と今後』の初校を終えるぞ」と始めたのに、今は「締め切りまで数日ある、明日にしよう」と変わっています。他のことでも同様で……ほんわかほんわか
小僧落書き:背景はハウステンボス(撮影:筆者)
まことに困ったものです。デモそこで考えた。「変わるのも変わらないのも、それが人間だ。コロコロ変わって良いのだ」、これって言い訳でしょうか。36階の寓居を訪ねてきた畏友・深田理恵社長から「高層階に住む高僧かい?!」と冗談を言われたことがありますが、小僧は小僧です。ほんわかほんわか。