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国献男子ほんわか日記4 発見はどのように?
国際協力実践家 小島康誉日中両国の研究者諸氏のご尽力をえて進めてきた「ニヤ遺跡」や「ダンダンウイリク遺跡」の総合調査。数巻の調査報告書や『Kizil,Niya,and Dandanoilik』(東方出版)で発表しています。概要はWeb「シルクロード国献男子30年」No.12~18でも紹介しました。
ダンダンウイリク遺跡を発見したのはスウェーデンの探検家で地理学者のスウェン・ヘディン、1896年のこと。その情報に触発されたハンガリー(後にイギリスに帰化)の探険家で考古学者のオーレル・スタインが1900年にダンダンウイリク遺跡を調査、その足で東に向かいニヤ遺跡を発見、1901年のことです。
しかし、厳密には彼らが「発見」したわけではありません。沙漠の民はその存在を知っていたのです。ヘディンもスタインも沙漠の民に案内されて、遺跡へ到達。調査内容を講演や報告書で広く発信したことにより、「発見」したとされているわけです。
沙漠の民は小規模の牧畜や農業・商業のほかに、猟師や駱駝キャラバン・宝探し屋などを生業としていました。彼らは沙漠を熟知しています。言い伝えや日頃の活動であの辺りには古い家(遺跡)があると知っていたのです。
駱駝親父(キャラバンリーダー)の記憶力・土地勘は驚くべきものです。太陽・星・風や空気の匂いなどにもよっているようです。
私たち日中共同隊はヘディンやスタインの報告書などを参考にしましたが、ニヤ遺跡へは道を切り開く苦闘、連続するタマリクス(御柳)の小山にも阻まれました。ダンダンウイリク遺跡へも沙漠で野営しながらたどり着きました。
1988年開始のニヤ調査で文化庁に相当する中国国家文物局の発掘許可証を取得できたのは、1994年のこと。地道は調査の積み重ねが評価された結果です。さっそくその年の調査から発掘を開始。翌95年に王族の墓地を発見し男女合葬棺など多数の棺を発掘、副葬品として「五星出東方利中国」「王侯合婚千秋万歳宜子孫」錦など国宝級文物を検出しました。この発見は「1995年中国十大考古新発見」「20世紀中国大発見100」に選ばれました。
日中隊ニヤ遺跡で重大発見と報じる人民日報など、日経・毎日・NHKなどでも
2002年開始のダンダンウイリク調査では露出した壁画の一部を発見し保護のため緊急発掘、「西域のモナリザ」壁画など国宝級文物を多数検出しました。焼損した法隆寺金堂壁画の源流の実物資料の発見となりました。当初は2001年予定でしたが、隣接するアフガニスタンで戦争が始まり、新疆政府から延期要請。もし2001年に実施していたら、壁画は露出していなかったのでは。砂丘は風で移動しているからです。発見には運も必要なのです。
忘れるわすれる
娑婆世界は辛いことばかりですね。悲しいこと悔しいこと怒りたくなること・・・が続発する毎日です。でもでもそれも捉え方しだい。良いことだってありますよ。「火の車つくる大工はあらねども己がつくりて己がのりゆく」とも申します。
他人のせいにするのは簡単ですが、自分自身が生きているからこその悩み。自分の人生を「楽しくゆったり有意義に」するのも自分なら、「苦しくあわただしく無意味に」するのも自分ですね。これが浅はかな小僧の考えです。
人の付き合いは難しいもの。ついつい自己中心で考えて、あの人のココが・・・あの人のあの返事は・・・とイラつきがちです。良いふうに良いふうに考えましょうよ。無理やりにでも前向きに捉えたら如何でしょうか。探せば何か良い点があるのでは?
小僧落書き、背景は松本竣介※の作品(撮影:筆者)
イヤなことはドンドン忘れましょう。別の表現でいえば「捨てる」でしょうか。溜め込んではパンクしてしまいます。TV番組が「ゴミ屋敷」を放送することがあります。そして登場するのが「整理名人」。分類して捨てることがコツのようですね。
それと同じで、ドンドン捨てることです。忘れることです。忘れるというと悪いことのように思われますが、実は大切な能力ではないでしょうか。ネチネチと覚えていても苦しいだけです。と一丁前のことを言っている小僧ですが、しっかり覚えていることも多々あります。困ったものです。ほんわかほんわか忘れましょう。
※松本竣介:1912年東京渋谷生まれ。48年36歳没。都会の風景と人間を静かに見つめた作家。2012年には生誕100年記念展が各地を巡回した。作品は東京国立近代美術館などにコレクションされている。