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国献男子ほんわか日記8 忘れられないあの方この人

国際協力実践家 小島康誉

新疆での諸活動の英文版『Kizil, Niya and Dandanoilik』 (東方出版)を買上げいただいた方より「写真が多くて楽しめた。この本を数名の方に捧げると記されているようだが、なにせ英語でよく分からないので、関係などを教えて」と連絡がありました。義理と人情を大切に生きている者として「義理」での買い上げに合掌しつつお答えします。

その方々のみならず多くの方々のおかげで活動を成しえることが出来ました。感謝しきれません。献辞した方々を掲載順に紹介します。

王恩茂様(1913-2001):中国共産党新疆ウイグル自治区委員会書記などを歴任され、新疆発展の基礎を築いた方です。1986年、私がキジル千仏洞を参観し「人類共通の文化遺産だ。保存しなくては!」と協力を申し出るも、外国からの寄付は初めてで中々許可は出ませんでした。最終的に王氏が許可を出したことにより、以降の活動が行えました。

塩川正十郎様(1921-2015):文部大臣や財務大臣などを歴任され、「塩ジィ」と親しまれた方です。1987年、私がキジル千仏洞修復保存の浄財を募るため「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」を設立した際、いろいろ知恵を授けていただきました。1988年に開始した「日中共同ニヤ遺跡学術調査」などでもお世話になりました。

上村晃史様(1924-1997):江戸時代から続く表面処理のトップメーカー上村工業社長などを歴任された方です。私が起業した「ツルカメコーポレーション」の社外取締役として指導をえていた縁で「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」会長に就任をお願いし、各方面の著名人を紹介いただくなど格段の尽力をたまわりました。

水谷幸正様(1928-2014):佛教大学学長や浄土宗宗務総長などを歴任された方です。私の師僧としての縁で、「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」では副会長として尽力たまわり、その後の「日中共同ニヤ遺跡学術調査」では真田康道教授・井ノ口泰淳名誉教授・田辺昭三教授を紹介いただき、調査を本格化することが出来ました。

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沈む夕日に南無阿弥陀仏、ニヤ遺跡仏塔にて(撮影:筆者)

張徳勤様(1933-2015):中国国家文物局(文化庁に相当)局長などを歴任された方です。「日中共同ニヤ遺跡学術調査」を永年にわって支持いただき、1994年には外国人へは初と言われている発掘許可証を発出いただきました。それにより中国の国宝中の国宝「五星出東方利中国」を発掘するなど多大な成果をあげることが出来ました。

兪偉超様(1993-2003):中国歴史博物館(現中国国家博物館)館長などを歴任された方です。中国考古学界のトップとして「日中共同ニヤ遺跡学術調査」を支持され、2000年にはウルムチで開催したシンポジウムに参加いただきました。『シルクロード・ニヤ遺跡の謎』へは「日中隊発掘のミイラは精絶国王と后である」との玉論をいただきました。

田辺昭三様(1933-2006):京都造形芸術大学教授などを歴任された方です。「学士院賞」も受賞されています。水中考古学という新分野にもチャレンジされました。1994年から「日中共同ニヤ遺跡学術調査」に多くの教え子を伴い参加、井ノ口泰淳初代学術隊長に続く第二代学術隊長として、多大な成果をあげていただきました。

李遇春様(1921-2003):新疆博物館副館長などを務められた方です。新中国成立まもない食糧もままならない状況下の1959年にニヤ遺跡調査を敢行、遺跡北部で墓地を発掘するなどの貴重な成果をあげられました。日中隊はその報告などをまとめた内部刊行書『尼雅考古資料』(韓翔・王炳華ほか編 1988)も参考にしました。

献辞した方々以外にもニヤ調査で尽力いただいた吉田恵二国学院大学教授は自宅前の交通事故で、ダンダンウイリク調査で尽力いただいた佟文康新疆文物考古研究所研究員は病気で・・・旅立たれた方も数名おられます。皆様のご冥福を祈ります。

同書では献辞とともに、「深謝」をお一人に記しています。鉄木尓・達瓦買提様です。永年にわたって新疆ウイグル自治区主席(省長)や全国人民代表大会副委員長などを務められた方です。「日中共同ニヤ遺跡学術調査」名誉主席として調査を強力に支持いただきました。この6月で90歳、見舞いもかなわず、安泰を祈ります。

ためないスグヤル

日々もやもやと生きています。煩悩の海を漂っています。頭の中はいつもグチャグチャ。整理整頓が出来ていません。そんな小僧が言うのも申し訳ないですが、優先順位をつけて実行することを心がけています。ほんわかほんわか。

後期高齢者となったおっさんにもあれこれ仕事が舞い込みます。金にはなりませんが、「傍楽」と割り切ってやっています。2~3月も某TV局と某大学の依頼で新疆。撮影と調査の許可取得の仲介です。普通なら航空運賃やホテル代は先方もちですが、謝礼はじめすべて辞退しています。ビジネスでなくボランティアだからです。と言うのはやせ我慢、本音はノドから手が出るほどお金がほしいです。スーパーで「半額男」とささやかれているほどですので。ほんわかほんわか。

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小僧落書き、背景は原口典之※の作品(撮影:筆者)

あれやこれやと「ためないスグヤル」ようにしています。この新疆行きにしてもTV局や大学側と数度打合せ、新疆側へも度々連絡・・・あれこれやっての訪問です。基本合意をえましたので、協議書調印をへて調査、撮影段階でも一汗かきます。

いつも「ためないスグヤル」ようにしています。スッキリさせると楽になるからです。「仕事は忙しい人に頼め」とよく言われますが、仕事の出来る人の能力のひとつは仕事をためずにサットやることでしょう。

「ためないスグヤル」は「楽しくゆったり有意義に」生きるコツではないでしょうか。ほんわかほんわか。

※原口典之:1946年神奈川県横須賀市生まれ。鉄板で囲った床に油をたたえた作品は、油の鏡面反射と油の深い黒が静かさと荒々しさを共存させ、独特のオリジナリティで評価されている。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。