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国献男子ほんわか日記65 世界遺産「キジル千仏洞」5周年

国際協力実践家 小島康誉

6月22日は忘れられない日です。キジル千仏洞が世界遺産になったのが2014年の6月22日、早くも5年となります。1986年5月にご縁によりキジル千仏洞を初参観し「人類共通の文化遺産」と直感、修復保存資金を提供。

翌年には新疆文化庁と修復保存資金贈呈協議書に調印し「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」を設立。多くの方々の尽力をいただき、1988・89年に計1億円余を贈呈し本格工事を開始。千仏洞は輝きを取り戻しました。

その後も世界的文化財の保護の重要性を訴求するため参観団を度々派遣、その度に各種お手伝い。またTV番組制作も数度仲介。求めに応じて講演も行 い、北京や上海の研究者も知らない修復前や工事中の写真をPPTで紹介。さらに職員通勤用バスや塩分の多い飲料水の浄化装置も寄贈。世界遺産「シルクロー ド:長安-天山回廊の交易路網」申請前に盛春寿新疆文物局長とユネスコ親善大使(文化財保護担当)平山郁夫氏宅で相談……。

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キジル千仏洞「世界遺産」決定!(『中国新疆36年国際協力実録』より)

…と願いの重なったキジル千仏洞。ドーハで開催の世界遺産会議のライブをPCで見続け、議長が「決定」と発した瞬間、妻と「万歳!」。協力開始から28年後のこと。こんな経験は中々出来るものではないと思います。日中双方多くの方のおかげです。

その年には「祝賀」のため、2015年にはフジ TV(アジアドキュメンタリーセンター制作)番組撮影のため、16年には中国天津TV「大愛無疆」出演のため、17年はNHK「シルクロード・壁画の道を ゆく」撮影のため、18年には企業経営者一行案内のため、訪問するなど深い縁のキジル千仏洞。ありがたいことです。今後も老残微力ながら応援します。

キジル千仏洞の一般公開が始まった1992年からすでに100万人ほどが参観に訪れました。最近は特に多く、この3年では20万人余が参観、海外からは1万人に達すると中国紙「環球時報」が報じています。参観料は保護にも役立ちますね。

パッとやる

私はあまり考えこまないたちです。思いついたら「パッとやる」性格です。上述したキジル千仏洞修復保存への協力もそうです。「これは素晴らしい世界 的文化財だ、後世に残さなくては!細々ながら活動している現地の人たちに協力しよう」と行動に移りました。紆余曲折はありましたが、結果的には中国側の頑 張りで見事「世界遺産」になりました。

ほかの場合も同様です。日中共同のニヤ調査でも新疆文化庁の韓翔処長から「新疆には三大遺跡がある。キジルはおかげで保存工事が始まった。楼蘭は基 本調査が終わっている。ニヤ遺跡は大規模だが、本格的調査は行われていない」と聞き、その場で「共同で調査をやりましょう」と提案。開始して7年後に中国 の国宝中の国宝「五星出東方利中国」錦発掘など大きな成果を上げました。暗い教室で真剣に学んでいる新疆大学生に感動し奨学金設立したのは33年前、その 後に文化文物関係者への奨励金・児童への育英金も設立、受賞者は合わせて6300人以上となり喜ばれています。

「パッと」着手して、成就しなくても仕方ないこと。うまくいかなければ次の手を「パッとやる」だけです。「パッと」トライすることが重要だと思います。失敗はつきもの。恐れずに挑戦あるのみ。その精神で起業し、僧侶となり、国際協力も始め…生きてきました。

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小僧楽書:キジル千仏洞の石窟案内人と(撮影:堀尾寶氏)

キジルつながりで千仏洞保存協力開始後の写真に「パッとやる」と書いてみました。左側が石窟です。女性の左の植林ポプラ、今では数十米に成長してい ます。私はまだ僧侶になる前でした。寒かったのか帽子姿。このコートはニヤ調査でも活躍しました。ぶら下げているカメラ、金に困って10年ほど前に数寄屋 橋のカメラ屋で換金。この女性その後会っていません、元気でしょうか。撮影者の堀尾さんとは今も交流しています。一枚の写真がいろんなことを思い出させて くれます。6月22日は皆で乾杯します。嗚呼ほんわかほんわか。

オマケの話:63回で 「東京メトロ 奉祝 天皇陛下御即位記念乗車券、ひと汗かいて購入。売出初日の5月1日午前中で5000枚売り切れ」と紹介、その続きです。5月24日、近鉄京都駅に同じく記 念乗車券の看板。しまい忘れ? にしてもおかしいと思いつつ「まだ有りますか」と問うと、「有ります」と。1000円で1枚購入。「何枚発売?」に「2万枚」と。26日には近鉄名古屋駅 でも購入。発売枚数が4倍としても、すでに3週間余、同じ1000円なのにまだ有るのは東京メトロの半分ほどの大きさだから? ほんわかほんわか。

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近鉄の天皇陛下御即位記念乗車券とその看板(5/24撮影:筆者)

 

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。